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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)11129号 判決

原告

大田静枝

外二名

右原告ら訴訟代理人

戸田謙

外四名

被告

右代表者

中村梅吉

右指定代理人

岩佐善已

外六名

主文

1  被告は原告大田静枝に対して、一、七九三万三、四一三円および内金一、六九三万三、四一三円に対する昭和四六年七月三〇日から、内金一〇〇万円に対する昭和四九年三月二日から各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告大田郁子および同大田直子に対して、各一、五一五万一、二九九円および各内金一四一五万一、二九九円に対する昭和四六年七月三〇日から、各内金一〇〇万円に対する昭和四九年三月二日から各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用はこれを三分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

5  この判決は仮りに執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら(請求の趣旨)

1  被告は原告大田静枝に対して、三、〇八三万四、五四三円および内金二、九六三万四、五四三円に対する昭和四六年七月三〇日から、内金一二〇万円に対する判決言渡しの翌日から各支払いずみまで年五分の割合による金員を、原告大田郁子および同大田直子に対して、各二、六八三万四、五四三円および各内金二、五六三万四、五四三円に対する昭和四六年七月三〇日から、各内金一二〇万円に対する判決言渡しの翌日から各支払いずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告(請求の趣旨に対する答弁)

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  原告(請求原因)

1  (本件関係者)

(一) 亡大田健は、昭和二五年東京大学文学部哲学科を卒業し、同大学文学部大学院特別研究奨学生となつて教育学を研究し、昭和二八年ごろに工学院大学に専任講師として就職し、昭和四六年当時、工学院大学助教授鹿児島大学教育学部講師であつた。原告大田静枝は右大田健の妻、同大田郁子、同大田直子はその子である。

(二) 航空自衛隊松島派遣隊所属の一等空尉隈太茂津(以下隈一慰という。)及二等空曹市川良美(以下市川二曹という。)はいずれも航空自衛官である。

2  (事故の発生)

(一) 大田健は、昭和四六年七月二八日ごろ北海道小樽市で開かれた全道事務職員研修会の講師として招かれ、その帰路、同月三〇日、千歳空港同日一三時三三分発の全日本空輸株式会社ボーイング式七二七―二〇〇型JA八三二九(五八便)のジェット旅客機(以下全日空機という。)に乗り、東京国際空港に向つた。右全日空機の予定航空路は、管制承認されたジェットルートJ一〇L、函館NDB(無指向性無線標識施設)、ジェットルートJ一一L、松島NDB、ジェットルートJ三〇L、大子NDB、ジェットルートJ二五L、佐倉NDBおよび木更津NDBを経由するものであり、巡航高度は二万八、〇〇〇フィート(約八、五〇〇メートル)であつた。右同日一四時ごろ、全日空機は前記ジェットルートJ一一Lを真対気速度約四八七ノット(マッハ約0.79、時速九〇二キロメートル)で飛行中であつた。

(二) 一方、隈一尉は、右同日、市川二曹に対し、隈一尉の指導により市川二曹のジェット戦闘機の有視界飛行方式による基本隊形、疎開隊形、機動隊形および単縦隊形の各訓練を盛岡を訓練空域として行うことを指示し、両名は、航空自衛隊F―八六F―四〇型ジェット戦闘機二機に分乗し(以下、隈一尉の塔乗した戦闘機を教官機、市川二曹の塔乗した戦闘機を訓練機という。)一三時二八分ごろ松島飛行場を離陸した。松島派遣隊は、事故当時、常設の横手訓練空域の北部をその一部として含む臨時の空域を訓練空域と定めたが、隈一尉の指示した盛岡とは右の臨時の空域を指すものであつた。

両機は離陸上昇しながら一旦海上に出、石巻市の東方から再び陸上に入り、栗駒山の方向に機首を向けて上昇を続け、築館上空に至つたころから疎開隊形をとつて更に上昇して川尻付近上空に至り、教官機は高度二万五、五〇〇フィート(約七、八〇〇メートル)、訓練機は教官機より三、〇〇〇フィート(約九〇〇メートル)高い高度で機動隊形の編隊訓練に入り、更に北上しながら左右の旋回をくり返した。

訓練機と全日空機の接触約三分前、教官機は右の高度で真対気速度約四四五ノット(マッハ約0.72、時速八二四キロメートル)で二分の一の標準率旋回で右旋回を約一八〇度行い、訓練機も教官機の右旋回に追従して一八〇度の右旋回を行つた。

(三) 次いで両機の左旋回が開始され、両機は前記ジェットルートJ一一Lを約二〇度のバンクで左旋回しながら横断しようとした。教官機は左旋回を続行中、一九五度から二一〇度位の方向に訓練機とそのすぐ後方に接近している全日空機を発見し、直ちに訓練機の市川二曹に対して接触回避の指示を与えた。一方訓練機は左旋回が開始されるや、教官機の後方を通過して教官機の左側すなわち旋回の内側に移行中、教官機の左側一五〇度ないし一六五度の方向、約五、〇〇〇フィート(約一、五〇〇メートル)後方に達したとき、教官機が発した異常事態の通信を受け、その直後に自己機の右側一二〇度から一五〇度位の方向至近距離に全日空機を発見し、とつさに回避の措置をとつたが間に合わず、同日一四時二分三九秒ごろ、訓練機の右主翼フラップステーション二五付近後縁と全日空機の水平尾翼安定板ステーション二〇〇付近前縁とが接触し、右接触が原因で全日空機に破壊が進行し、操縦不能となつて墜落した。

右接触の場所は、国鉄田沢湖線雫石駅北方、北緯三九度四三分、東経140度58.4分を中心とする東西一キロメートル、南北一、五キロメートルの長円内の上空高度二万八、〇〇〇フィート(約八、五〇〇メートル)付近である。

(四) 全日空機の墜落により大田健は死亡した。

3  (自衛隊機の過失)

(一) (隈一尉の過失)

(1) 前記訓練は大きな飛行空間を必要とするものであり、訓練空域を逸脱して飛行制限空域である前記ジェットルートJ一一Lに進入する可能性が充分考えられたものであるから、隈一尉は教官として市川二曹に対し、教官機との関係を維持するだけに専心せず、四囲の状況も充分注意して操縦するよう指示を与える注意義務があるのに拘らず、これを怠り、市川二曹に対し右の指示をしなかつた。

(2) 松島派遣隊は、ジェットルートJ一一Lについては、その中心線の両側九キロメートル、高度二万五、〇〇〇フィート(約七、六〇〇メートル)から三万一、〇〇〇フィート(約九、五〇〇メートル)の間を飛行制限空域として、やむを得ない場合を除き訓練飛行を禁止していた。隈一尉は機動隊形の旋回訓練に際し、訓練空域が民間旅客機の飛行の頻繁なジェットルートJ一一Lに接している場合は、訓練空域を逸脱して右ジェットルートに進入しないように訓練すべき注意義務があるにも拘らす、これを怠つて、地文航法のみによつて飛行を行つて右ジェットルートに進入した。

(3) 隈一尉には、飛行技術の未熟な市川二曹の教官として、訓練機の動向等を注視し、適切な飛行の助言を与える注意義務がある。事故当日、前記接触位置の高度における気象状況は、雲が全くない晴天で、視程は一〇キロメートル以上であり、太陽も相互の視認を妨げない位置にあつたから、隈一尉が右注意義務を尽し、訓練機の動向等四囲の状況を注視していれば、少くとも接触三〇秒前に全日空機を視認して、適切な回避措置をとることができたものである。しかし、隈一尉は右注意義務を怠つたため、全日空機の発見が遅れ、接触約二秒前に、市川二曹が全日空機を視認する直前に、市川二曹に接触回避の指示を与えたのみであつた。

(二) (市川二曹の過失)

市川二曹は前記訓練空域が、ジェットルートJ一一Lに隣接していることおよび訓練内容が高速度の機動隊形の旋回訓練であるから、非常に広範囲の飛行空間を必要とするものであることを充分認識していた。従つて、市川二曹は訓練中ジェットルートJ一一Lに進入して訓練が行われ、これがため民間機と接触することも予測されるのであるから、啻に教官機との関係位置を維持するのみならず、四囲の状況を充分注視して操縦すべき注意義務があるのに、これを怠り、全日空機の発見が遅れ、接触二秒前に全日空機を視認したにすぎなかつた。

4  本件事故は、国の公権力の行使に当る公務員たる隈一尉および市川二曹が、その職務を行うについて、過失によつて違法に惹起したものであるから被告は本件事故に基づく損害を賠償すべき責任がある。

5  (損害)

(一) (大田健の逸失利益)

(1) (基本給)

大田健は、死亡当時満四四才であり、昭和四六年度生命表によれば、同年度の四四才の男子の平均余命は29.84才である。そして、工学院大学において施行されている定年制において、定年は七三才と定められていたので、大田健は定年まで三〇年間稼働することができた。ところで、同人は、死亡当時、工学院大学の教員基本給の定めにより四級八号俸月額一三万六、九四〇円を同大学から支給されていた。更に同大学では、教員は毎年一号俸づつ昇給し、最高四級三三号俸(月額一七万五五三〇円)に達した場合は、以後定年まで昇級しない旨の定めがある。以上に基づき大田健の七三才までの各年の基本給の額を算出すれば、別表(一)の基本給欄のとおりである。

(2) (家族手当)

大田健には、妻静枝、長女郁子、次女直子の三人の扶養家族があり、一カ月の家族手当として三、三〇〇円を支給されていた。

(3) (賞与)

工学院大学では、賞与は一カ月の支給額すなわち基本給と家族手当を加えた額の五カ月分に三万円を加えて得られた額とする旨の定めがあるから、大田健の毎年の賞与は別表(一)の賞与欄のとおりである。

(4) (退職金)

工学院大学においては、勤続年数が四二年以上の者は基本給の六〇カ月分の退職金が支払われるという定めであり、大田健は、昭和二八年四月に右大学に俸職したので、七三才の定年まで勤務すれば、勤続年数が四二年を越え、退職金を取得することができる。右退職金は、七三歳時の基本給一七万五、五三〇円に六〇を乗じた一、〇五三万一、八〇〇円となる(別表(一)のとおり)。

(5) (副収入)

大田健は教育学の研究者であり、主に教育財政学と教育事務を専攻する学者であるが、この分野は教育学の中でも特に未開発の分野であるため、教職員組合、事務職員会からの講師、講演の依頼が多く、大田健の死亡前一年間のその報酬は別表(一)のとおりであり、合計一九七万六、九九二円である。

(6) (生活費控除)

大田健は一カ月のうち一週間以上も出張しがちであつたので、同人の生活費を収入の三割と認めるのが相当であり、各年ごとの生活費控除は別表(一)の生活費控除欄のとおりである。

(7) 以上の点を考慮したうえ、複式ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除すると、別表(一)の中間利息控除の残額欄記載のとおりとなり、大田健の逸失利益は合計六、四三六万四、五三一円となる。

(二) (物損)

大田健は事故当日、現金一五万円を所持していたほか、時計、万年筆、ライター、衣服等を身につけており、その合計は五一万七、六〇〇円となる。従つて、同人は本件事故により、右同額の損害を被つた。

(三) (慰藉料)

(1) 大田健は原告らと週に一度は外で家族と一緒に食事をする習慣をもつなど幸福な家庭を築いていた。又大田家では新たに家を購入する計画もあり、その実現も間近であつた。

(2) 大田健は、正義感あふれる人柄であり、大学内の諸問題にも積極的に取り組み、昭和四五年五月の右大学の総長の選挙には、学生自治会職員組合の推せんで立候補した。この事は、保守的な傾向のある同大学にとつては有意義であると一般に評価された。

又思想的には、平和主義思想の持ち主で、自衛隊が違憲であることにつき強い信念をもつていた。

(3) 又専門の教育財政学においては、長年の研究の成果をまとめたライフワークとなるべき著作を執筆する予定であり、資料の収集も完了して着手の直前であつた。更に国立教育研究所で企画された「教育百年史」の編集を委託され、財政史の分野の編集班長をしていた。

(4) 右の事情を考慮すると大田健の慰謝料を一、〇〇〇万円と評価するのが相当である。

(四) 以上によれば死亡による大田健の損害は、合計七、四三六万四、五三一円となり、原告ら三名は、右損害賠償請求権をそれぞれ三分の一(二、四九六万〇、七一〇円)づつ相続により取得した。

(五) (葬祭料)

原告大田静枝は、大田健の葬儀を、昭和四六年八月六日、中野の正見寺で行い、更に同月二二日、広島の健の実家でも葬儀を行つた。その費用は二〇〇万円であつた。

(六) (原告らの慰藉料)

原告大田静枝は、一家の主柱を失い、これからは自ら生活を維持し、子供らを扶養しなければなならず、その精神的損害は、四〇〇万円と評価するのが相当である。

原告大田郁子、同大田直子は若くして父を失い、人生の多感な時期に父なしで生活しなければならない。又右郁子は、本件事故の影響で腎臓病に罹患してしまつた。右の事情のもとでは、原告大田郁子、同大田直子の精神的損害は各二〇〇万円と評価するのが相当である。

(七) (損益相殺)

原告らは工学院大学より大田健の退職金として、二九七万八、五〇〇円を、全日本空輸株式会社より一〇〇万円を各受領したので、原告らの取得した各損害賠償請求権から、以上の合計の三分の一すなわち一三二万六、一六六円を差し引く。

(八) (弁護士費用)

原告らは、原告ら訴訟代理人らに本件訴訟追行を委任し、その手数料として、昭和四七年九月六日、六〇万円を支払つた。報酬としては弁護士報酬規程に基づき、三〇〇万円が相当である。従つて、弁護士費用は、合計三六〇万円となるところ、その三分の一すなわち一二〇万円が、原告ら各人の損害である。

(九) 以上をまとめると原告らの損害は次のとおりである。

(1) 原告大田静枝

三、〇八三万四、五四三円

(2) 原告大田郁子、同大田直子

各二、六八三万四、五四三円

6  よつて国家賠償法第一条に基づき、原告大田静枝は被告に対し三、〇八三万四、五四三円および内弁護士費用一二〇万円を除く二、九六三万四、五四三円に対する本件事故の発生の日である昭和四六年七月三〇日から、右弁護士費用一二〇万円に対する判決言渡しの翌日から各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求め、原告大田郁子、同大田直子はそれぞれ被告に対し、二、六八三万四、五四三円およびうち弁護士費用一二〇万円を除く二、五六三万四、五四三円に対する右昭和四六年七月三〇日から、右弁護士費用一二〇万円に対する判決言渡しの翌日から各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  被告(請求原因に対する認否)

1(一)  請求原因1(一)の事実のうち、大田健が昭和二五年東京大学文学部哲学科を卒業し、同大学の文学部大学院特別研究奨学生となつたことおよび昭和二八年ごろに工学院大学に専任講師として就職したことはいずれも不知。その余の事実はいずれも認める。

(二)  同1の(二)の事実は認める。

2(一)  請求原因2の(一)の事実のうち、大田健が全道事務職員研修会に講師として招かれたことおよび昭和四六年七月三〇日一四時ごろ、全日空機がジェットルートJ一一Lを真対気速度約四八七ノットで飛行中であつた事実は不知。その余の事実はいずれも認める。

(二)  同2の(二)の事実のうち、隈一尉が市川二曹に指示した訓練内容および盛岡が原告ら主張の臨時の空域を指すとの点は争い、その余の事実はいずれも認める。

(三)  同2の(三)の事実のうち、自衛隊機二機が左旋回を開始した際、ジェットルートJ一一Lを約二〇度のバンクで横断しようとしたことおよび全日空機と訓練機の接触した場所が原告主張のとおりであることは不知。その余の事実はいずれも認める。但し、全日空機と訓練機の接触した時間は一四時二分ごろである。

(四)  同2の(四)の事実は認める。

3  請求原因3の事実のうち、(2)の松島派遣隊が原告ら主張の飛行制限空域における訓練飛行を禁止していたこと(但し、ジェットルートは一定の幅をもつ空域ではないから、これに中心線なる概念はない。)、(3)の事故当日全日空機と訓練機の接触位置の高度における気象状況は雲が全くない晴天で、視程は一〇キロメートル以上であり、太陽も相互の視認を妨げない位置にあつたことは認めるが、その余の事実は争う。もつとも、被告は本件事故の発生につき自衛隊機に過失があつたことを認める。すなわち、本件事故は、全日空機および自衛隊機二機の双方において、有視界気象状態における安全確認上の注意義務(見張り義務)に欠けるところがあり、双方の過失が競合して発生したものである。

4  請求原因4は争う。

5(一)  請求原因5(一)の事実のうち、(1)の大田健が死亡当時満四四才であつたこと、同人が工学院大学の教員基本給の定めにより同大学から給与の支給を受けていたこと、(2)の大田健が家族手当の支給を受けていたことは認めるが、(1)の大田健の平均余命、工学院大学に定年制が施行されていたこと、大田健が支給を受けていた基本給の号俸、月額、同大学では、教員は毎年一号俸づつ昇給すること、(2)の大田健が本件事故当時原告郁子について家族手当の支給を受けていたことはいずれも否認する。その余の事実は不知。

昭和四六年簡易生命表によれば、四四才の男子の平均余命は原告ら主張のとおりであるが、第一二回完全生命表によれば、男子一般の平均寿命は67.74才であるから、稼働年数は当然それ以下となるはずであり、大田健については確実なるところ六三才までとするのが妥当である。

大田健の死亡直前の基本給は三級一六号であつた。原告郁子は昭和二七年八月六日生れであるから昭和四五年八月六日で満一八才に達しており、工学院大学給与規程案第七条、第八条の規定により同原告には家族手当は支給されていなかつた。

(二)  同5の(二)の事実は不知。

(三)  同5の(三)の(1)ないし(3)の事実は不知。(4)の主張は争う。

(四)  同5の(四)の事実は不知。慰藉料の本質にかんがみ、慰藉料請求権は一身専属的性質を有し、相続の対象とならないとすべきである。

(五)  (5)同5の事実は不知。

(六)  同5の(六)の主張は争う。原告ら請求の慰藉料額は一般の死亡事故の場合に比較し、著るしく高額に過ぎる

(七)  同5の(七)の事実のうち、原告らが全日本空輸株式会社から一〇〇万円を受領したことは認め、その余の事実は不知。

(八)  同5の(八)の事実のうち、原告らが、原告代理人らに本件訴訟追行を委任したことは認め、その余は争う。

(九)  同5の(九)の主張は争う。

6  同6は争う。

7  被告は、自衛隊機が本件事故の一方の当事者であつたことおよび本件事故結果の重大性にかんがみ、なによりもまず一五五名の全日空機の乗客の遺族に対して速かに補償措置を講ずべきであり、右補償は遺族らに十分納得の得られる手厚いものでなければならないとの考えのもとに、昭和四六年一一月上旬内閣総理大臣の特別の配慮をもつて補償に関する政府案を決定し、これに基づき遺族と折衝し、昭和四七年三月一日までに乗客一五五名のうち一五二名の遺族との間で和解の成立をみた。原告らに対しては、昭和四七年七月一三日、合計三、三四八万八、八四一円の補償額を提示して和解を申し入れたが、諒解を得られず、本訴に至つたものであるが、特定の遺族らに対してのみ、他の大多数の遺族らと異なる算定方式をもつて補償を行うことは、他の遺族らとの均衡上とうてい許されるところではない。

第三  証拠〈略〉

理由

一(本件関係者)

〈証拠〉によれば、亡大田健が、昭和二五年東京大学文学部哲学科を卒業して、同大学文学部大学院特別研究奨学生となつたこと、および昭和二八年四月一日工学院大学に就職したことが認められ、同人が教育学を研究し、昭和四六年当時工学院大学助教授、鹿児島大学教育学部講師であつたこと、原告らと大田健との身分関係ならびに航空自衛隊松島派遺隊所属の隈一尉および市川二曹がいずれも航空自衛官であることは当事者間に争いがない。

二(本件事故の発生)

1  原告ら主張の本件事故の発生に関する事実(請求原因2)は、そのうち、大田健の北海道での用務およびその帰路同人が乗つた全日空機が昭和四六年七月三〇日一四時ごろジェットルートJ一一Lを真対気速度約四八七ノット(マッハ約0.79、時速九〇二キロメートル)で飛行中であつたこと(請求原因2(一))、隈一尉が市川二曹に対して指示した訓練内容および盛岡が原告ら主張の臨時の空域を指すとの点(前同2(二))、自衛隊機二機がジェットルートJ一一Lを約二〇度のバンクで左旋回しながら横断しようとしたこと、全日空機と訓練機の接触したのが一四時二分何秒であつたかという点および接触の場所(前同2(三))を除き、いずれも当事者間に争いがない。

2  そして、〈証拠〉によれば、川尻付近に至つて機動隊形の編隊訓練に入り、更に北上しながら左右の旋回をくり返した自衛隊機二機のうち教官機は、岩手山付近上空において、一八〇度の右旋回をしたのち若干の直進を行い、更に左旋回を開始し、訓練機が教官機のこの動に追従したものであり、両機の左行旋回中に全日空機と訓練機の接触が発生したものであつて、接触の場所は盛岡市のおおむね西方付近の上空であり、この接触後、全日空機および訓練機は、それぞれ操縦不能となつて大破し、分散落下したこと(残骸は国鉄田沢湖線雫石駅を中心として最短0.5キロメートル、最長約五キロメートルの範囲内に散在していた。)を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

3  以上によれば、本件事故発生の主要な経緯は、昭和四六年七月三〇日、千歳飛行場を一三時三三分に発進し東京国際空港に向う途中の全日空機が、盛岡市のおおむね西方付近の上空において、一四時二分ごろ、隈一尉から飛行訓練を受けていた市川二曹の塔乗する訓練機と接触し、右接触が原因で全日空機が墜落し、その乗客であつた大田健が死亡したものである。

三(被告の責任について)

1  本件において、原告らは、隈一尉につき請求原因3の(一)の(1)ないし(3)の過失を、市川二曹につき同3の(二)の過失を主張したのに対し、被告は、全日空機および自衛隊機二機の双方において、有視界気象状態における安全確認上の注意義務(見張り義務)に欠けるところがあり、自衛隊機二機にも過失があつたことを認める旨陳述する。

おもうに、過失とは、加害行為者がその加害行為に基因する損害発生の結果に対する注意義務に違反したことに対する法的な評価であるが、注意義務違反なる評価は、加害行為がなされた当該状況において法が望ましいものとして加害者に要請する行為(以下結果回避行為という。)に出なかつたことに対する批難にほかならない。それ故、訴訟において過失を主張する一方当事者は、注意義務違反の評価を導く加害者の具体的加害行為およびそれがなされた当該状況の主張(事実関係の主張)と加害者のとるべき特定の結果回避行為の提示(過失における法的評価の提示)をするのである。そして、右結果回避行為は、加害行為と当該状況、すなわち事実関係が具体的であればあるほどに、それと相関的に、時刻・場所・行為の態様等の標識によつて特定化され、且つ具体的内容を備える。本件原告らの主張もまさにそのような内容のものであることが明らかである。これに対し、被告の前記陳述とその基本にある弁論態度は、原告ら主張の事実関係をその具体的内容の細部にまで亘つて真実であるとするかどうか、又原告ら主張の特定の結果回避行為が本件の場合に妥当するかどうかはともかく、自衛隊機二機が有視界気象状態における安全確認(見張り)措置をとらなかつたことおよびこれが注意義務に違反するものであることを認めるというにあり、これは、およそ人は他人の生命の安全を侵害しないよう振舞うべきであるのに、これを怠つたという過失の抽象的観念にほど近い内容であつて、いわばかなりに抽象的な次元において、原告らの過失の主張と符合する陳述をしたことに帰着する。被告が本件第三回口頭弁論期日において、右陳述の釈明として「被告は本件自衛隊機の包括的、一般的過失を認める。」と述べたことも、右陳述をそのように理解する支えとなるであろう。

しかし、当裁判所は、〈証拠〉により、被告が本件事故の状況につき、詳細且つ周到に事前調査を行つて事実を認識し、その事実につき正しく法的評価をなし得る能力を有し、もとより陳述の内容を正当に理解しており、自衛隊機二機の有過失という結論のみを裁判の基礎となすべき意味において前記陳述をなしたものと認められる本件においては、前記陳述は事実の自白に該当し、裁判上の自白の拘束力を有するものと判断する。

2  なお、被告の前記陳述は、本件事故は自衛隊機の過失のみではなく、全日空機の過失も原因として競合することを含意する。すなわち、自衛隊機と全日空機の共同不法行為をいわんとするものである。しかし、自衛隊機に過失があつた以上、他の国家賠償法上の要件を具備する限り、被告は原告らに対し本件事故によつて生じた全損害を賠償する責任があるのであり、仮りに共同不法行為であつたとしても、自衛隊機と全日空機の過失の各程度如何によつて被告に右損害賠償責任が帰属せしめられないこととなるとか、あるいは責任の程度に差等を生ずるとかいう筋合のものではないと解するのが相当である。よつて、本件においては、全日空機の過失の有無、自衛隊機と全日空機の過失の各程度を判断する必要はないとすべきである。

3  前記一、二の事実によると、本件事故は国の公権力の行使に当る公務員たる隈一尉および市川二曹が、その職務を行うについて、違法に惹起したものであることは明らかである。

以上によれば、被告は原告らに対し本件事故によつて生じた損害を賠償すべき責任がある。

四(損害について)

1  (大田倢の逸失利益)

大田倢が死亡当時満四四才であつたことは当事者間に争いがなく、昭和四六年度簡易生命表によると、同年度の四四才の男子の平均余命は29.84才であることが明らかである。被告は第一二回完全生命表による男子一般の平均寿命67.74才を基礎とすべきであるとするが、右主張は採用できない。

そして、〈証拠〉を総合すると、大田倢が勤務していた工学院大学においては昭和四六年当時、定年は当年の三月三一日までに満七三才に達することを要件とする旨の教授会の申し合わせが存したが、右は、従前七五才とされていたのが、二年低くなつたこと、他の私立大学においては、定年はやや若く、七〇才、あるいは六五才というところが多いことが認められる。従つて、工学院大学の定年も今後七三才以下になることは十分予想されるところである。

以上の事実によれば、大田倢の工学院大学在勤による稼働期間は、同人が満六九才に達する昭和七一年(昭和七〇年度)の三月三一日までと推論するのが相当であり、以下これを前提として同人の逸失利益を算定する。

(一)  (基本給)

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1) 大田倢は昭和四六年七月三〇日に死亡する以前には、工学院大学の助教授として教員基本給の三級一六号俸月額一二万七、一六〇円を支給されていた(同人が同大学の教員基本給の定めにより給与の支給を受けていたことは当事者間に争いがない。)。しかし、大田助教授の同年代の学者は、他の私立大学ではすでに教授となつているものも多く、又学問上の業績の点からも同助教授はすでに教授に昇格してしかるべきであつたとの評価が学内外において一般的である。そして、大田倢の死亡前、同人の属する一般教育部の教授らから工学院大学教授会に対して、同人の教授昇格の件につき提案がされたが、工科系の教授の多い同教授会の承認するところとはならなかつた。しかし、本件事故で大田倢が死亡した後、昭和四六年八月に、右教授会が開かれ、そこで急遽同人を同年七月三〇日にさかのぼつて教授に昇格させることが決定された。同人が教授に昇格すれば、四級の給与が支給されるが、その号俸は同人の学卒年度の関係から八号俸月額一三万六、九四〇円が支給される定めとなつていた。従つて、大田倢の退職金は右四級八号俸一三万六、九四〇円を基準にして算出され、二九七万八、五〇〇円が同年八月二〇日、原告らに支払われた。ところで、同大学では、助教授の給与体係は三級の一号から三一号まで、教授は四級の一号から三三号までとなつており、大学卒業後助手に採用され、勤務経過年数零年を助手の一級一号に格付けし、その時点からの勤続年数一八年目に教授に昇格した者は四級一号を支給されることと定められていた。又特別の欠格事由、すなわち休職、一カ年三〇日以上に及んだ欠勤、通算一〇日に及んだ無断欠勤などがなければ、四月一日採用者は毎年四月一日付で一号俸づつ定期昇給する定めとなつている。

(2) 右の事実に基づき、大田倢に将来支給されるべき基本給につき検討する。大田倢が死亡後教授に昇格する旨教授会で決定されたのは、昇格の件が同人死亡前実質的に決まつており、手続のみが遅延していたなど特別の事情が認められない限り、教授会が同人に対し単に哀悼の意を示してとつた処置にすぎないと推認されるから、右教授昇格に伴う昇給の事実をそのまま基礎にすることはできない。しかし、前述の事実関係のもとでは、大田倢が前記稼働期間中引き続き助教授のままではあつたとは考えられず、同人が生きていれば、比較的近い将来教授に昇格し、その時期は遅くとも同人が満五〇才に達した昭和五二年四月一日と推認するのが相当である。そして、前記乙第五号証に徴すると、その時期に教授に昇格すれば、同人の学卒年度の関係からすくなくとも四級一四号俸月額一五万〇、三三〇円が支給されるものと認めることができる。

又大田倢につき将来昇級の欠格事由が生じるか否かは予測困難であるが、同大学では昇給することが原則であり、大部分の他の教員らは、毎年昇給するものであることは容易に推認できるのであるから、大田倢も教授に昇格するまでは助教授として毎年一号俸づつ昇給し、教授に昇格した後も教授給の四級の給与体系に従つて毎年一号俸づつ昇給するものと認めるのが相当である。以上によると、大田倢の取得すべかりし基本給額は別表(二)の基本給欄のとおりである。なお別表(二)の各年度の期間は、昭和四六年度を除き、いずれも四月一日から翌年の三月三一日までである。

(二)  (退職金)

前顕甲第四号証の一および証人竹吉正明の証言によれば、工学院大学の退職金は勤続期間が四二年以上の者には一律に基本給の六〇カ月分が支給される定めであることが認められ、昭和二八年四月一日に工学院大学に就職した大田倢が満六九才に達する年度の三月三一日まで同大学に勤務すれば、同人の勤続期間は四三年となることは明らかである。従つて、同人の退職金を算出すると、一、〇四九万二、八〇〇円となる。ところで退職金は給与の後払い的性格をも有するものと解するのが相当であるから、後述のとおり他の収入と同様に、税金および生活費として四五パーセントを控除して現価を算出するのが相当である(別表(二)の退職金欄のとおり)。

(三)  (家族手当)

〈証拠〉によれば、工学院大学においては、配偶者と満一八才未満の子供などについて、最初の一人については月額一、七〇〇円、二人目からは各八〇〇円の家族手当が支給されること、家族手当の支給の取消の場合はその届出のあつた翌月分からとする旨定められているところ、大田倢の子である原告大田郁子は昭和四六年七月三〇日当時すでに満一八才一一カ月に達しており、同大田直子も昭和四九年七月六日には満一八才に達することが認められるので、大田倢の家族手当は別表(二)の家族手当欄記載のとおりと認めるのが相当である。

(四)  (賞与)

〈証拠〉によれば、工学院大学の教員の賞与は、基本給に家族手当を加えた額に五を乗じ、更に三万円を加える算式によるものであることが認められ、従つて大田倢の賞与は別表(二)の賞与欄記載のとおりである。

(五)  (副収入)

〈証拠〉によれば、大田倢の死亡前一年間の講演料などの副収入は一八七万六、九九二円であることが認められ、以後定年に至るまで同額の収入があるものと推認するのが相当である。

(六)  (税金および生活費の控除)

(1) 大田倢の逸失利益から諸税金を控除すべきかどうか問題である。所得税法第九条第一項第二一号によれば、心身に加えられた損害に基因して取得した損害賠償金は所得税の課税の対象とされないことは明らかである。右の立法趣旨を被害者保護の目的に出たものであると理解すれば、被害者の逸失利益の算定にあたり諸税金を控除しないとするのが、右立法趣旨に添うものといえる。しかし右の立法趣旨を、そもそも損害賠償は、被害者に生じた実損害の填補のためのものであり(換言すれば、加害行為による被害者の所得の減少を填補するだけで、被害者の財産を積極的に増加するものではない。)、そこには課税の対象となるべき所得は存しないのであるから、非課税とするという当然の理を明らかにしたものと理解すれば、逸失利益の損害賠償において被害者の得べかりし所得(当然課税の対象となる。)から諸税金を控除することは右規定に抵触するものでないとすべきである。

逸失利益の算出は、本来的に、被害者が事故に遭遇しなければかかる収益を上げることができたであろうという蓋然性判断であるが、右判断にあたつては可能なかぎり、考えうる実際に即して、被害者の純収益を算出することが損害の公平な分担を目的とする不法行為法の理念に適合して、望ましいことである。この見地から見れば、何人も生きていれば課税されたであろう税金を死亡したために課税されなかつたはずだと主張することはできないのであり、逸失利益から諸税金を控除するのが相当である。逸失利益から諸税金を控除すると、控除しない場合よりも加害者の賠償額が軽減される結果となるのであるが、そのことをもつて不当に加害者を利するものと理解するのは妥当でない。

(2) このように逸失利益の算定にあたつては、考えうる実際に即して、被害者の純収益の算出を目指すべきものであるから、逸失利益算出にあたり、生活費その他の諸経費を控除すべきことは当然である。

(3) 次に控除額につき検討すると、税金については法律に従つて厳密に算出することは不可能ではないが、税の種類や税率は、時々の国民経済生活の情勢その他を踏まえた立法政策によつて可変的なものであつて、高福祉高負担の時代においては広般高額の課税がありうる反面、減税政策が推進されることもあるのであつて、逸出利益の算出が蓋然性判断であるとはいえ、将来の長期間に亘る税金控除を現行税制において定められている基準の適用によつて行なうことは、必らずしも適当でなく、この点は逸出利益算出の積極的要素たる収益の予測が比較的に確実性を有するのと趣を異にする。特に大田倢のように副収入が多い者にとつては、そもそも収入自体が高度の推認に基づいているものであるから、税金のみについて厳密な計算を行うことは必ずしも意味をもたない。又生活費の控除額については、将来の生活費の厳密な算出は困難であり統計的資料に基づいて抽象的に一定の割合で控除する方法をとらざるを得ない。従つて、諸税金と生活費の控除にあたつては、それらを一括し、社会通念に従つて妥当と考えられる範囲内においてこれをなすべく、右の見地から諸税金および生活費の控除の割合を年収の四五パーセントと認める。

(七)  (中間利息控除)

中間利息は別表(二)の現価率欄記載のとおりのホフマン式算出法の係数に基づき、年五分の割合で控除するのが実体に即し、相当である。

よつて大田倢の逸失利益は別表(二)のとおり合計四、一七三万二、三九五円と認めるのが相当である。

2  (物損)

〈証拠〉によれば、大田倢は死亡当時現金一五万円を所持しており、その他カバン一個、時計一個、傘一個、ポロシャツ一枚、ズボン一本、背広上下一着、ネクタイ一本、クツ一足、ライター一個、ワイシャツ三枚、靴下五足、下着類三組、ナイロンカバン一個、眼鏡一個、万年筆五本、本一五冊、扇一本、ネクタイピン一個を身につけあるいは所持しており、それらは、すべて滅失し、あるいは毀損したことおよびそれらの買入価格は、合計三六万七、六〇〇円であつたことが認められる。

しかし、右の物品は一部を除いて本件事故当時すでにいずれも大田倢の使用に供されていたことは明らかであるから、全体として相応の減価消却をした価格をもつて右物品を失つた損害額と認めるべきである。従つて、これを合計一五万円と認め、喪失した現金一五万円を加えて合計三〇万円を大田倢の物的な損害と認めるのが相当である。

3  (慰藉料)

〈証拠〉によれば、請求原因5の(三)の(1)ないし(3)の事実および同5の(六)掲記の事実をそれぞれ認めることができ、右認定に反する証拠はない。

右事実を総合すれば、大田倢の精神的損害を二〇〇万円、原告大田静枝の精神的損害を二五〇万円、原告大田郁子および同大田直子の精神的損害を各八〇万円と認めるのが相当である。

4  (葬祭料)

〈証拠〉によれば、大田倢の葬儀は、二回に亘り、東京都中野区の正見寺と広島において行われ、その費用として原告大田静枝は、一〇八万二、一一四円以上を支出したことが認められ、右認定に反する証拠はない。右の葬儀費用のうち原告大田静枝が被告に請求しうる金額は、一〇八万二、一一四円と認めるのが相当である。

5  (弁護士費用)

原告ら三名が、原告訴訟代理人ら五名に対して本件訴訟追行を委任したことは当事者間に争いがない。

原告大田静枝本人尋問の結果によれば、原告ら三名は、原告ら訴訟代理人に対して着手金として六〇万円を支払つたこと、成功報酬は規定に従つて支払う旨約定したことが認められる。右の事実および本件訴訟が比較的早期に結審したことなどの事情を考慮し、原告らの弁護士費用は、着手金成功報酬を含めて三〇〇万円と認めるのが相当である。

従つて原告ら各人はそれぞれ弁護士費用として一〇〇万円の損害を被つたことになる。

6  (損益相殺)

原告ら三名が本件事故に関して全日本空輸株式会社から一〇〇万円を受領したことは当事者間に争いがなく、原告らが工学院大学から大田倢の退職金として二九七万八、五〇〇円を受領したことは前述のとおりである。

よつてその合計額三九七万八、五〇〇円は、原告ら三名が平等の割合により本件事故によつて受けた利益であるから原告らはそれぞれ右金額の三分の一すなわち一三二万六、一六六円(一円未満は切り捨て)をその損害額から控除するのが相当であるが、弁護士費用の損害が確定的に発生するのは、本件訴訟の終了時であると解すべきであるから、右の控除の対象となる損害には弁護士費用は含れないものと解するのが相当である。

7  (まとめ)

(一)  以上をまとめると大田倢の損害は次のとおりである。

(1) 逸失利益 四、一七三万二、三九五円

(2) 物損 三〇万円

(3) 慰謝料 二〇〇万円

(4) 合計 四、四〇三万二、三九五円

従つて原告ら三名は、それぞれ右四、四〇三万二、三九五円の三分の一(法定相続分)にあたる一、四六七万七、四六五円(一円未満は切り捨て)の損害賠償請求権を相続により取得した。

(二)  原告大田静枝の損害賠償請求権は次のとおりである

(1) 相続分 一、四六七万七、四六五円

(2) 葬祭料 一〇八万二、一一四円

(3) 慰謝料 二五〇万円

(4) 損益相殺分 一三二万六、一六六円

(5) 弁護士費用 一〇〇万円

(6) 合計 一、七九三万三、四一三円

(三)  原告大田郁子、同大田直子の損害賠償請求権はそれぞれ次のとおりである。

(1) 相続分 一、四六七万七、四六五円

(2) 慰謝料 八〇万円

(3) 損益相殺分 一三二万六、一六六円

(4) 弁護士費用 一〇〇万円

(5) 合計 一、五一五万一、二九九円

(四)  当裁判所は原告ら三名が前記(二)ないし(三)に説示した額の損害賠償請求権(合計四、八二三万六、〇一一円)を有するものと判断する。これは被告のいう政府案に基づく和解申し入れ額を上廻るものであるが、このことは当然に右判断の正当性を左右するものではなく、又右判断にかかる金額が被告と和解した他の乗客の遺族らが支給を受けた補償額と真の意味において均衡を失するものとはいえない。

五よつて原告らの本訴請求のうち、原告大田静枝については、被告に対し一、七九三万三、四一三円およびうち弁護士費用を除く一、六九三万三、四一三円に対する本件事故発生の日である昭和四六年七月三〇日から、右弁護士費用一〇〇万円に対する判決言渡しの翌日である昭和四九年三月二日から各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延延損害金の支払いを求める限度において、原告大田郁子、同大田直子については、被告に対し各一、五一五万一、二九九円およびうち弁護士費用一〇〇万円を除く一、四一五万一、二九九円に対する昭和四六年七月三〇日から、右弁護士費用一〇〇万円に対する昭和四九年三月二日から各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、それぞれ理由があるから認容することとし、その余の原告らの請求は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行宣言につき同法第一九六条を各適用し、被告の担保を条件とする仮執行免脱宣言の申立は不相当であるからこれを却下して、主文のとおり判決する。

(蕪山厳 井上孝一 慶田康男)

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